エンジョイ日本史5  保元の乱②

天下分け目の保元の乱続きです。

有名な平清盛率いる平家

鎌倉幕府の創設者の源頼朝、その弟、義経父親である 
源義朝の源氏

当時、清盛は39才

義朝は34才

大河ドラマなどでライバルのように
描かれることが多い二人ですが

この時点で

清盛の方がはるかに官位が上
武士としては異例の出世をした人物でした

貿易で得た財があり
軍事力、財力、ともに義朝の遥か上をいっていました。


そして実際は
このときまでは面識もなかったと思います。

大河ドラマなどでは
ライバルとしていた方が
話が面白いからそうしているのだと思います。

 

2人は後白河天皇方につきました

この保元の乱、後の源平合戦のような
源氏 対 平家の戦いではなく

崇徳側と後白河側にそれぞれに源氏も平家も

入り乱れています

清盛と義朝は自分の身内相手に

戦をすることになりました


察するに

当時の武士は位がとても低かったのです。

なにも身内で別れて争わなくても。。

と思いましたが

また身内でも考えの違い
好き嫌いがあるのは

今の世でも同じですね。


そうゆうのとはまた別に

当時の武士は貴族の使用人とゆう立場で

もっと言えば、門番の役割の番犬がわり

荷物を引く牛車がわり


貴族にとっては

自分たちに意見することなど

ありえない、あってはならない

そして、自分たちの命令には

従って当然だと

そのような価値観、感覚だったそうです。

 

なので乱の勃発のとき

貴族からの招集に対して

武士側は、どちらの勢力に味方するか、ほとんど

選択権はなかったのではないかと思われます。

 

身内が入り乱れて

戦うことになった背景にはそういったことがあった

と思います。

 

源氏の義朝はとにかく自分達、源氏の

地位を上げたい

ずっと思っていました

なのでこれをチャンスとみて

この乱にて手柄を上げようと思っていました。